2011年01月04日(火)

「私の時は、御手の中にあります」詩編31:15



御言葉によると、神の「時」があり、主も「時」を非常に重んじられた。「わたしの時がまだ満ちていないからです」「わたしの時はまだ来ていません」「見なさい。時が来ました」。私たちの信仰生活の中でも、何事においても「時」があ
る。

自分では最も良い時と思っても、それが神の「時」でなければ、うまく事が運ばない。自分では一生懸命頑張るが、空回りし、ギクシャクし、実を結ぶ事がない。経験した事があるだろうか。あの時、この時、神の時で無かった・・とわかる。幾ら頑張っても物事が成就して行かなかった。

「すべての人が時と機会に出会う」しかし、同時に、神の時というものがある。その「時」を逃さずに、しっかり捕らえる必要がある。その神の時には、神の約束が見事に実現し、御心が成就して行く。神が特別に働かれ、状況が大きく動き、私たちは神の超自然のみわざを見る。

その前でも、その後でもなく、まさに「神の時」なのだ。そのためには、常に神に従おうとする心と態度で、スタンバイしておく事だ。神に従おうとの姿勢がある時にだけ、神の時がわかり、機会を捕らえ、生かす事ができる。常に、御心に従う心を定めて、大きく目と心を開いていよう。
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門は開き、心が整えられる美しい神の時がある。今の時も何かご計画の時かもしれないと時と御心に敏感になり備えていよう。