2011年04月04日(月)

「舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた」マルコ4:37 


「向こう岸へ渡ろう」と言われた主の御言葉に従って、舟に乗ったなら、弟子たちは大嵐に会った。舟は波をかぶり、水で一杯とは、このままなら転覆してしまう。「溺れて死にそう」なほどの瀬戸際であり、恐怖であった。しかし、主は眠っておられる。何をどうすればよいのか、弟子たちは恐れに動揺し、パニックになった。

主は「信仰がないのは、どうしたことです」と言われた。ここでの問題は、不信仰だった。主が目の前に、共におられるのに、どう考えても、舟が転覆するはずがない。沈む事の方が不可能だ。しかし、弟子たちの頭には、主は飛んでしまっていた。私たちの姿だろうか。

不意の、想定外の事態に襲われた時に、頭真っ白で、主も飛んで、御言葉も飛んで、もう恐れと不安しかなく、頭混乱状態だ。しかし、主は大嵐の中で、熟睡しておられた。「向こう岸へ渡る」事が御心であり、その御言葉は100%成就する。天地がひっくり返っても、何がどうなっても、向こう岸へ渡れるのだ。

主は憩いと平安と安堵のまっただ中におられた。不安と恐れが来た時、主が同船しておられる事を覚えよう。そして、安心しきって、熟睡しておられる姿を覚えよう。どんな状況が来ても大丈夫だ。今、どこを見ているのだろう。嵐、舟、波、風、自分だろうか。主と御言葉に目を転じよう。安堵と全き平安が臨む。
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御心を進んでいても波も風も来る。向かい風であっても主が共におられるので大丈夫だ。主には全てが想定内のこと。おじ惑う私たちの不信仰もだ。風が、波が、見えても恐れることはない。