2011年08月05日(金)

「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ」Tサムエル8:22 

イスラエルの国は神によって治められていた。それゆえ、主は、民が、人間の王を欲した時に、「彼らを治めているこのわたしを退けた」と言われた。そして、王の権利を知らせよと言われ、サムエルはことごとく民に知らせた。息子は戦に取られ、娘たちは働かされ、畑は取り上げられ、自分の家来たちに与える・・自分たちの選んだ王のゆえに主に求めても、その日、主は答えて下さらないと。しかし、それでも尚かつ、民は、どうしても王が欲しいと言い張った。

その時、主は、彼らにひとりの王を立てよと答えられた。このところに、神が人間に与えられた自由意志を見せられる。人間が、神の警告を聞かずに、どうしてもしたいと主張し続けて、願うものは、神は願い通りにさせられるということを。神は私たちの自由意志を尊重される。決して、自由意志を曲げて、強制することをされない。どうしても願うものは与えられる事がある。

しかし、与えられた結果、やせ衰えると。「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた」詩106:15自分の欲望を遂げてもやせ衰えて、虚しくなる。私たちを愛し慈しみ、最善を備えて下さっている神の御声に従い、神の警告に従うことが、自分にとって喜びと平安の道だ。
それは神の愛から出ているのだから。
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通って見なければわからない道なら通らされても、霊的な喜びが失せ、枯れて行く。したいことをする自由と、すべてのことに神を認め自分の思いを捨てる自由がある。神から来る喜びと平安ある道を選んでいきたい。