2012年01月05日(木)

「主の山の上には備えがある」創世記22:14



アブラハムは、神の約束であるイサクを得るために、25年待ち続けた。待ちに待った。イサクを得たのは、アブラハム100歳、サラ90歳の時だった。長い〃忍耐の末だ。しかし、彼らも人間であり、私たちと同じ弱さを持ち、数々の失敗があった。余りにも子供を授かる気配が無いので、当時の習慣であった事もあり、女奴隷ハガルにより、イシマエルを産み出してしまった。しかし、アブラハムはヘブル11章で、信仰の人として名を連ね、賞賛を受けている。

愛するひとり子イサクを献げるようにという大きな試練が臨んだ時に、「翌朝早く」とあり、アブラハムは、従順に従った。その彼に神は「あなたが、このことをなし、あなたの子、ひとり子を惜しまなかったから、確かにあなたを大いに祝福し」と神から大いなる祝福を受けた。だが、非常に厳しい試みであった。25年も待った最愛の我が子だ。そして、このイサクから子孫が大いに増え広がる約束はどうなるのか。

イサクに「いけにえの羊はどこに」と聞いた時に、彼は「神が備えて下さる」と答えた。彼は全く神を信頼した。しかし、いよいよイサクをいけにえとし、刀を振り下ろすまさにその瞬間に、制止された。そして、そこには代わりの羊が用意されていた。これは彼も知らなかった事だ。私たちも先は見えず、明日の事はわからない。しかし、主はご存じだ。一歩〃この主に信頼して歩む時、絶えず「主の山の上に備え」を経験して行く。
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主がせよと言われる事がはっきりと示されているなら、疑いや恐れを信仰に変えて一歩従おう。主の山に日ごとの求めは豊かに備わっていて欠けは無い。主の祝福主の備えを見よう。