2012年02月03日(金)

「また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます」コロサイ4:12


祈らないで、主を求めずに、事を行ってしまって、失敗した経験は無いだろうか。なりゆきで、高価な物を衝動買いし、欲しい物でも無かったと後悔したり、祈らないで思いつきで、活動を始めてしまい、途中で様々な障害にぶつかり、結局中止になってしまう。どんなに一見良い事でも、祈らないで、肉の思いで始めてしまうと、中途で挫折してしまう。

ある人は祈らないまま、目の前に来た高額のバイトに飛びついた。しかし、余りの多忙にデボーションの時間が失せ、どんどん神から離れ、本末転倒の生活を示され、途中で辞めた。ある人は御心を求めないまま、高額報酬の仕事に転職した結果、教会へ行けなくなってしまった。ヨシュアがギブオンの住民達に騙されて、盟約を結んだ箇所がある。ギブオン人達が計略を巡らし、変装し、遠くから来たと思わせ欺いた。実は自分達の中に住む近隣の者達であった。

この時、対応するのに「主の指示を仰がなかった」。主を見上げず、肉の思いで判断すると、道を間違ってしまう。私達も心しよう。日常生活、祈りつつ、主の指示を仰ぎながら歩もう。あの決定、この判断、主を仰ごう。でなければ、結局、肉で始めた計画は中途半端となり、蒔いたものを刈り取る事になる。主に祈り、平安与えられ、確信持って前進しよう。それは「主と一つ」に進める幸いな歩みだ。
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大きな問題が起これば祈るが、日常の些細な中で常に神様を認め祈りながら生活しているだろうか。まず朝のはじめに神様に自分に頼りそうな時、知恵を求める事が出来るよう祈ろう。