2012年03月05日(月) 「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな・・主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け」エレミヤ4:3
「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな・・主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け」エレミヤ4:3
「いばらの中に種を蒔くな」とあるように、豊かな結実のためには、開拓された、よく耕された地に種を蒔く必要がある。いばらの中に蒔いても、豊かな実を結ぶことはできない。私たちの心の状態はどうだろう。主に対して心開かれているかどうかだ。 「いばらの中に種を蒔くな」とは、「あなたがたの忌むべき物を、わたしの前から除け」いうことだ。私たちの心から、主以外のものに向かう、様々な雑草を引き抜けと言われている。種蒔きのたとえの、いばらの地は、富の欲望や快楽、世の心遣いで、せっかくの芽をふさいでしまった。生活の中で、主から心を引き離 すものを取り除くことが必要だ。再び世のものを追いかけてしまうなら、自分自身が主から離れてしまう。 又、エレミヤは「主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け」と言った。当時のユダヤ人は外的な割礼というしるしに安んじ、それを誇っていた。そうではなく、主が求められるのは、内面的な割礼だ。頑なな心、従おうとしない、どこまでも自分を通そうとする固い心を取り除くことだ。 イスラエルは砕きのために、バビロン捕囚を通された。試練の恵みを通される。自分でどうにも出来ない頑なな心が、試練によって砕かれる。非常に痛いが、苦しみを通して、荒地の岩の心を、柔らかい心に耕して下さる。放っておかれたら、どうなった事だろう。必ず「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした」と言えるようになる。 ------------- 主の取り扱いにより、主にのみ拠り頼めるよう砕き耕されるのは感謝な事だ。雑草やいばらで心を思うままにしてはいないだろうか。主とともに歩む平安と豊かな祝福を味わい生きよう。