2012年04月04日(水)

「・・あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」ローマ8:11


主を信じて救われた時に、御霊が内住して下さった。そして、古い罪の性質もあるので、天国に帰るまで、肉と御霊が戦い、古い性質と新しい性質が葛藤し、主のかたちへと変えられ、成長して行く。日々に御霊の声に聞き、御霊に従い、御霊に導かれて歩む事が大切だ。

例えば、一日の始め、「デボーションを持とう」との声がする。しかし、別の声が聞こえる「時間が無い。早く用意をしなくては」「身体がだるい。祈る気分ではない」「また後でいいや」。対人関係で、カチンと来る状況が生じる。一つの声は「言い返せ。スカッとするぞ」別の声は「まず主に祈ろう」・・。

いつも御霊の声と肉の声、二つの声が聞こえる。そして私たちは、意識していなければ、ほとんど肉の声に従ってしまう。肉の思いの方が楽で、気持ちにフィットする。自然に感じる。だから、御霊に導かれ、恵みの中に生きる事ができず、いつも肉の歩みを繰り返してしまう。

又、妬みや敵対心があると、平安が無く、罪意識があるので、何とかしようとする。愛さなければならないと思う。愛そうとするが、絶対に愛することはできない。心は苦しくて辛い、悶々状態だ。どうする事もできない。御霊に導かれて生きるには、出来ない事を認めて、御霊に明け渡して行く時に、委ねる時に、御霊に導かれる。そして、御霊に導かれる時、愛する事ができる。解決は御霊に導かれる事だ。
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二つの声の葛藤の中で、御霊の声を選び、導かれるまま一歩踏み出せるならどんなに豊かな御霊の実を結ぶ人生だろう。肉の声のおもむくままではなく葛藤しよう。主が声をかけて下さったなら、従いたいと祈ろう。