2012年05月05日(土)

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」ヨハネ12:24


私たちには二つの性質があり、新しい性質は主の御心を行なおうとし、古い性質
である肉は、御心かどうかでなく、自分の損得を考える。自分の益にならないこ
とに、時間、労力、富は使いたくない。犠牲を払うことを、肉は嫌がり、したく
ない。回避するための弁解と言い訳は幾らでも出てくる。つまり「地に落ちて
死」にたくない。

ある婦人が、クリスマスの夜のイベントを皆で、計画していた際に、自宅はどう
かとの打診に、とっさに言ってしまった。「その日は仕事」と。実は、家の片づ
けや準備が面倒だったので、パスしたかった。そしてその当日、特別忙しくて、
遅くまで残業となり、「クリスマスなのに」と文句が出そうになった時、ハッと、
主が教えて下さった。

犠牲を払うのがいとい、とっさに出してしまった言葉、それが嘘にならないよう、
主が仕事を与えて下さったのだと。本当に「神様ごめんなさい」で、主のあわれ
みと優しさに、主を感じつつ、心温められて仕事が仕上げられたと。

麦は地に落ちて、芽が出て、花が咲き、実が実るが、麦自身は地中で死んで、そ
の結実を見ることができない。しかし、豊かな実がなる。肉は犠牲をいとう。そ
して、見返りを求めるものだ。人の評価が欲しいし、感謝が欲しい。今、何かの
犠牲を払うことを、主から求められているなら、従ってみよう。

主に従う人生は何が違うのだろう。自分中心から神中心に変わることだ。自分の
好きなように人生を生きるなら、一粒のままで終わる。しかし、自分の思いを捨
て、主の御心に従うなら、必ず豊かな実を結ぶ。

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肉は自己を軸に生きようとする。自分を中心に考える。メリットが無ければ意味
がない。御霊の導きは神中心だ。自分の損得でなく、主の御心はどうかを考える。
自我は強く、「できません」と祈って行く時に、主の助けを経験して行く。