2012年10月05日(金)

「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」マタイ16:23


ペテロは「あなたがたは、わたしをだれだと言うか」との主の問いに、「生ける神の御子キリスト」と正しい立派な答えをした。しかし、その後、主が十字架と復活の事を話されると、ペテロは主をいさめた。「そんな事が、あなたに起こるはずがない」と。主の十字架を「そんなこと」と言い、「起こるはずがない」と。

主はそれを「サタン」といさめられた。主は、十字架を否定して、挑んで来る敵を見破られた。ペテロにすれば、主の事を思い、主のために言ったつもりだ。しかし、それは、人間的な思い、肉の価値観であり、サタンの思いと合致し、神のみ思いと正反対のものであった。本人は良いと思い、正しいと思ってする事が、結果的にサタンに導かれていて、罪を犯すことになる。

本人は主のためであり、正しいと思っているだけに、ストレートな罪よりやっかいだ。「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。サタンに欺かれ、肉の思いに進む時は、主の事を忘れている時だ。目に見えない主が飛んで、目に見える人と、世の事に夢中になり、心が奪われている時だ。肉に流されてしまう。

又、人からの賞賛、人からの愛、人からの誉れで心を満たそうとする時、サタンにだまされてしまう。主からの誉れより、人からよく思われたいとの強い肉の思いに引っ張られる。サタンは狡猾だ。御霊により肉の価値観、サタンの攻撃に気づかせられるよう、祈っていよう。
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一見、良いと思われる事は、よくよく考えず行動に移しがちだ。
動機は自己満足や人の前に生きるためではないだろうか。神の前に生きているのか、いつも吟味してみよう。