2013年03月05日(火)

「ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した」マタイ25:18


クリスチャンの神観は、信仰生活に大きく影響する。あの1タラントのしもべはどうだろう。彼の神観は、「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方・・私は怖くなり、あなたの1タラントを地の中に隠した」だった。このしもべは、いい加減な人ではない。むしろ真面目で、1タラントを絶対に減らす事はできないと考えた。

恐ろしい主人だ、減らしでもすれば、どういう事になるか。失敗を極度に恐れて、何もせず、地の中に埋めた。そのまま返せば文句は無いだろう。彼は主人を信頼していなかった。彼の主人観は、恐い厳しい人、絶えず要求され、奪い取られ、失敗や過失は許されない。失敗するならひどく罰っされる。怯えと恐れに支配されていた。そんな主人のために、何かをしたいなどと思わない。最低限すべき事は、きちんとするから、後はいっさい関わらないで欲しい。

これはパリサイ人そのものだ。律法を几帳面に守り、人からいっさい非難されないよう、真面目に生きる。しかし問題は、しもべを愛し信頼し、失敗のリスクも承知の上で、多額の富を預けてくれた主人の心を、知らなかったことだ。主人の心は、愛と慈しみでいっぱいであり、しもべと喜びを共にしたい。「良い忠実なしもべ」「僅かなものに忠実であったから」、主は失敗については言われない。忠実であることを見られる。タラントを忠実に精一杯用いて行こう。
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愛されているがゆえに多くの賜物を今日も神様から与えられている。生活の全てが恵みの賜物だ。1タラントすら無事にお返し出来ないところも赦し、受け入れてまた豊かに与えられる。委ねられた賜物を喜んで忠実に用いていこう。