2013年04月04日(木)

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです」ヤコブ1:14


「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられる」誘惑の底にあるのは「欲望」だと言っている。人の思いがあり、欲望があるから、その欲望に引かれて行き、誘惑されると。エバはサタンの誘惑に会ったが、善悪を知る木の実が魅力的で、素晴らしいものであったことが問題なのではない。問題はそれに対するエバの思いであった。

「まことに食べるに良く、目に慕わしく、賢くする」と誘惑された。魅力的で、賢くなりたいとの欲望があった。神のようになりたいと、好きなように生きたいとの思いがあった。その欲望を満たそうとした時に、サタンの誘惑に陥った。そして、罪を犯してしまった時、アダムとエバは、神である主の御顔を避けて、園の木の間に隠れた。

神の言葉に従わない時、人は神を避けて、隠れるようになる。神から離れてしまう。サタンが誘惑するのは、人を神から離すためだ。人は、やすやすとサタンの誘惑に陥ってしまう。それは、その人が一番欲しいものを、目の前に持って来て誘惑するからだ。咽から手が出るほど欲しいものを持って来る。魚釣りで、餌をつけて魚を釣るようなものだ。願望と合致しているから、誘惑だと気づかない。

誘惑は決して神からではない。神は悪に誘惑されることの無い方だ。誘惑や問題が来たなら、まず主の御前に差し出そう。祈りにより、御言葉を与えて下さり、誘惑に勝利させて下さる。
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巧みに来る誘惑に気づく時、心を神様に向けて祈ることができますように。欲望は尽きることはないがその度に神様に渡して行く時に試みは恵みに変えられていく。