2013年08月05日(月)

「あなたはなぜ、主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行なったのですか」Tサムエル15:19



サウル王は、アマレクを打ち、すべてのものを聖絶せよと、主から命令を受けた。しかし、命令に従わずに、最も良いものを惜しみ、聖絶するのを好まず、つまらない、値打ちの無い物だけを聖絶した。それがサムエルに発覚し、サムエルに追求されると、サウルは、民がした事と、民に責任転嫁をして行く。又、良いものを取っておいたのは、主にいけにを献げるためだと、言い訳し、自分を正当化した。エデンの園のアダムとエバそのままだ。

これらの誘惑はいつも私たちにも来る。自分のせいではない、状況が悪かった、相手が悪い、相手のせい、自分は疲れていた、自分は悪くない・・。しかし、自分のした事を認めずに、逃げたり、ごまかして行くなら、そこに欺きが入り、主との「真実な」関係が持てなくなる。これが致命傷だ。都合の悪い事は、すべて環境や相手のせいにし、自己正当化する。常に自分は正しい。自分は間違っていない。プライドが罪を認めない。

「もし罪はないと言うなら、自分を欺いており、真理は私たちの内にない」。御霊が私たちの罪を示す時に、もし自分が正しいと言い張るなら、神が間違っていることになる。「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです」。その時、「神のみことばは私たちのうちにありません」。一番恐ろしいぎまんの状態に陥ってしまう。間違いは率直に認めよう。主の血潮がある。絶えず血潮により、赦され、きよめられる。そして成長して行ける。
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頭でわかっていても、実際には言い訳やごまかしを自分に許してしまってはいないだろうか。自分と主との関係は真実なものだろうか。御霊の促しにいつも敏感に呼応したい。真実な態度で主の前にいよう。