2013年12月05日(木)

「主よ。そのとおりです。ただ。小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」マタイ15:27 



カナン人女性が主に助けを求めた。娘が悪霊につかれていて、彼女の求めは切迫したものであった。「ダビデの子よ」と真剣に、必死にすがり叫んだ。この全身の叫びに、主は、答えて下さるはずでは、と私たちは思う。しかし主は「一言もお答えにならなかった」。まるで無視であり、沈黙されたままだ。しかし諦めず、尚も叫ぶ女性に、弟子たちが、帰して欲しいと主に苦情を言った。

それに答えて、「わたしは、イスラエルの羊以外のところには遣わされていない」と言われた。すると、女性は「ダビデの子」を、単に「主よ」と変えて、ひれ伏して助けを求めた。カナン人の彼女はイスラエルではない。異邦人だ。「ダビデの子よ」と言う権利は無い。彼女はへりくだって正しい位置に立った。すると、主は「子どものパンを子犬に投げてやれない」と言われた。

何と冷たい言葉、に聞こえそうだが、そうではない。実は、主は彼女が正しく求める事ができるように、ずっと手助けをしておられた。女性は「主よ。その通りです」と認め、へりくだり、「小犬でも食卓から落ちるパンくずは頂けます」と求めた。その時娘は癒された。

彼女は主のあわれみを信じたから、決して諦めなかった。あわれみとは、こちらがどんな状態であれ、頂ける愛顧だ。それは彼女の主への信仰だった。彼女はへりくだって、どこまでも主を信じて迫った。あなたも今、信仰を試されているだろうか。
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主の近くに行き、祈り求めることが出来る幸いな立場を感謝し、自分もどこから救われたのかを思い起こすなら、へりくだるしかない。主の沈黙も導きと、あきらめたり、つぶやいたりせず「あわれんでください」と主にどこまでも助けを求めたい。