2014年02月02日(日)

「イエスは、『来なさい』と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけ・・」マタイ14;29


主イエスから目を離さない事が大切だ。ペテロは、主の「来なさい」との御言葉に立ち、その御言葉のゆえに、海上に一歩を踏み出した。その時に、奇跡が起きて、ペテロは海の上を歩けた。まっすぐに主イエスだけを見て、御言葉を信じ握ったゆえだった。

ところが風を見て、風に視点が移り、主から目を離した途端に、ブクブクと沈み始めた。これは状況は全く関係無いという事だ。海の上で、何を見ているかで、歩けたり、沈んだりする。私達はとにかく苦しい状況を変えようと、必死にもがく。

それさえ変われば、平安になり、幸せになれると。しかし、状況の問題ではない。神を通して状況を見る時、どんな悲惨な状況でも、平安と感謝が来る。しかし、神から目を離し、状況を見た途端に、不満と思い煩い、恐れへと真っ逆さまに落ち込む。

試練にある人が言った。自分が主を見ている時は、主にある人々の励ましが感謝でならず、人々の愛を通して、主の愛が見えた。しかし自分が状況や自分を見ている時は、素直に受け取れず、自己憐憫に陥り、人は皆幸せそうで、自分だけが不幸で惨めと、心を屈折させ落ち込んだと。

状況は全く同じなのに、主を見ているか、主以外のものを見ているかで、天と地の差が出て来る。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」主イエスから目を離してはならない。

絶えず主を自らの心の中心に据え、目の前に起きるあらゆる事柄を、主に焦点を当てて考えてみよう。喜びの時も苦しみの時も、主イエスのことを考え、思い、イエスから目を離さないでいよう。

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信仰生活で、主を見ているなら歩けて、目を離した途端、沈むことを、日々経験する。しかし、沈みかけると、主がつかんで下さること、決して溺れないことも経験する。目を離す度に、御霊が気づかせて下さるように、祈っていよう。