2014年03月04日(火)

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:16 



私たちは、主に従って行きたいと思う。しかし、主に従う事を、自分の力でやろうとする。すると、怒りが湧く事態に出くわすと「主は柔和、怒ってはいけない」と、怒りをぐっと押し込める。又、相手の態度にイライラすると、「主は忍耐のお方、忍耐しなくては」と、ぐっと我慢する。あちらでも、こちらでも、我慢を重ねる。しかし、許容量オーバーになると、必ず爆発する。定期的に爆発しては、それまでの証しが台無しになる。

あなたも経験あるだろうか。我慢する事は、抑え込むだけなので、必ず溜まると噴火する。主に従うとは、押し殺し、抑え込み、我慢する事ではない。それなら、表面を一生懸命に取り繕うだけになる。クリスチャンである事は、フラストレーションのかたまりになってしまう。そうではなく、歯を食いしばって頑張り、じっと我慢するのでなく、「我慢できません」「忍耐できません」「腹が立ってどうにもなりません」と主に心の内をありのまま告げ、主に受け止められ、変えられ、主から力を受けて、歩む生活だ。

まず、自分で何とかしようとせずに、あるがままの自分の心の内を、主にことごとく打ち明けよう。主は喜んで受け止めて下さる。愛して慈しんで下さっている。主に告げて、御声に耳を傾けよう。主のみ思いを伝えて下さる。その御声に従おう。出来ないと表明しているので、御霊が必ず助けて下さる。
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憎しみや妬みや見たくない自分の醜い所を主に認め、告げていくと、すぐに思いは消えなくても心に来る度に御霊が意識させて下さる。それは新しい展開だ。主に告げながら御霊の導く方を選んでいこう。