2014年11月04日(火) 「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」ローマ8:4
「それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです」ローマ8:4
救われた私たちは、主に従って行きたいと願う。しかし、自分の力 で従おうとするとどうだろう。腹の立つ事が起きると、主は寛容で、 柔和なお方と、怒りを我慢し、自分の力で抑え込むだろう。又、相 手にイライラすると、「忍耐しなければ」と、いら立ちを抑え込み、 我慢しようとする。 あちらでも、こちらでも、我慢に我慢を重ねる。しかし、抑え込ん だものは、許容量を越えると、必ず爆発する。定期的に爆発しては、 証しが台無しになる。あなたも経験あるだろうか。我慢は、心に抑 え込むだけなので、必ず大噴火する。主に従うとは、抑え込む事で はない。それなら、表面を取り繕うことだ。クリスチャンである事 は、フラストレーションのかたまりになってしまう。 そうではなく、欲求不満を底に置いたまま、我慢するのでなく、そ のつど「イライラします」「我慢できません」「腹が立ちます!」 と主に心のありのままを告げて行くことだ。そして主に明け渡して、 助けを求めることだ。主は受け止め、助けて下さる。まず、ありの まま主に打ち明けよう。 主は、ことごとく受け止めて下さる。そして委ねて行く時、不思議 に心が平安になる。出来ないと正直に表明しているので、御霊が必 ず助けて、働いて下さる。御霊に従って歩むので、御霊の力によっ て成し遂げられて行く。 -------------- 我慢しながら歩むのと、主に明け渡しながら黙々と歩むのは、外側 は同じに見えるが大違いだ。主は受け止め、決して罪に定めないと 言われている。律法的に自分を見るとき、主に助けてと言いたい。