2015年01月05日(月)

「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」ルカ11:1 



私たちは様々なことを祈りに持って行く。主は、求めよ、祈れ、と
言われている。何でも祈って良い。しかし、ある人が、祈っている
のに、祈りが答えられない、幾ら祈っても答えられないと言う。ま
ず祈りの原則にあるように、「その耳が遠くて聞こえないのではな
い。あなたの咎が神との仕切りとなり・・」もし罪があれば悔い改
める必要がある。

又、「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとし
て、悪い動機で・・」とあり、自己中心な動機があるかも知れ名い。
又は、自分の願いと、主の願いが違っているのかも知れない。一致
していない。自分の思いが強く、自分の思いに固執してしまってい
ないだろうか。主のみ思いを尋ねてみよう。

祈りを軌道修正しつつ、主のみ思いに合致するように導いて下さる。
又、御心にかなってはいるが、答えられる時期が今ではなく、更に
先なのかも知れない。忍耐もって、待ち望む必要があるのかも知れ
ない。又、あるいは、別の形で答えられているが、自分の思いしか
無いめ、気づかず、見えないのかも知れない。

自分はAを祈っていたのに、Bの答えが来たなら、それは、Bが神
の御心であり、自分の思いとは異なるが、自分にとってベストと信
じて受け取ることが大切だ。その先に豊かな祝福が用意されている。
御霊が心を探って下さる。動機をきよめ、忍耐を与え、軌道修正し
ながら祈りを導いて下さる。その導きのみ声に耳を傾けて行こう。
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祈らずした失敗はただの失敗で、成功さえ手ごたえは薄い。祈りの
時を持とう。主に心のうちを知っていただきながら、祈りを通して
主の導きを学んで行きたい。