2015年03月05日(木)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる・・」ローマ8:28



エジプトで宰相となったヨセフは、人の悪意でさえ、神は、良いこ
とのための計らいとして下さると言った。人が、私たちを故意に傷
つけようとしたとしても、そこに主が介入され、その悪をすら良い
事と、益とされる。それなら、人生に恐れは無いのではないだろう
か。

ヨセフが、兄たちの悪巧みにより、エジプトに売られた時、「主が
ヨセフとともにおられたので」主人に愛され、厚意を得た。しかし、
一転、無実の罪で投獄になってしまう。奴隷より悪い囚人の身だ。
だが、その牢獄でも、「主はヨセフとともにおられ」監獄長の心に
適うようにされ、囚人の世話を任された。そして、「主が彼ととも
におられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださった」。

時に、状況がどんどん悪い方に向かう事を経験する。人間的に見る
なら、主は一体どこにおられるのか、共におられないのではと思っ
てしまう。しかし、「主はヨセフとともにおられた」。私たちも同
様であり、不都合な事態が起きる時、はっきりと「主がともにおら
れる」のだ。すべての事が、主の御手の中にあり、主の主権と支配
の中にあるとは、何と安心なことだろう。

「永遠の腕が下に」。そして、そのような中で、主に信頼して行く
時、見えるところ八方ふさがりの、最悪の状況だとしても、それを
良いものに変えて行って下さる。「良いことのための計らい」とさ
れる。ヨセフはその共におられる主を信じたので、試練を忍耐でき
た。共におられる主を信じ、そこに立っていよう。
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どのような中でも主と共に歩んでいる。紆余曲折、わからない中を
歩いているようでも、必ず主が良い場所に着地させてくださる。
そう信じていよう。試練の中で心が平安に守られる。