2015年07月04日(土)

「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲 望とともに、十字架につけてしまったのです」ガラテヤ5:24


私たちはキリストにあって、義人であると神は見て下さっている。
すでに義人であり、神の目から見たなら肉の中にはいない。自分の
肉はすでに十字架につけられた。しかし、同時に、天国に行くまで、
自分の内に新しい性質と共に肉の性質もあるので、別の面では「自
分を捨て、自分の十字架を負って」日々に歩む必要がある

泥酔やギャンブルや、妬みや、憎しみ等はストレートな罪なのでわ
かりやすい。しかし、醜い自我だけでなく、自分の心を占領し偶像
になっているのは、醜いものでなく、一見美しくて、良いものかも
知れない。サウル王は「最も良いものを惜しみ、つまらない値打ち
のないもの」を聖絶した。

私たちもどうだろう。最上のものを取っておいて、どうでもよいも
のだけを捨てているだろうか。時間や労力を献げて懸命に奉仕する
が、実は、一番自分を喜ばせる自己満足、誇りやプライドが、心に
潜んでいるかも知れない。「山を動かすほどの完全は信仰」を持っ
ていても、自分の栄光のためということがある。

自分を捨てなければ、結局、無に帰してしまう。御霊は、自分に死
ぬことを、日々の生活で、具体的に示して下さる。それは譲る事や、
謝罪する事であったり、批判を受け止める事であるかも知れない。
「肉を十字架につけてしまった」その信仰に立ちつつ、指し示され
た一つ一つに従って行こう。

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すでに自分は主と共に十字架につけられた、との信仰に立って、今
日も歩もう。同時に、一生涯を通して成長へと導かれる。捨てるべ
きものを示し、又、砕いて行って下さる。避けず、逃げずに、取り
扱いにあずかって行く時、一歩一歩喜びと成長が与えられる。