2015年12月05日(土)

「祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨ま れていることをそこで思い出したなら、供え物は・・置いたままにし て、出て行ってまずあなたの兄弟と仲直りをしなさい」マタイ5:23



私たちは、自分の間違いを認めたくないものだ。うまく行かない相
手がいると、相手が謝りさえすれば、こちらも謝ってもよい。相手
が変われば、こちらも態度を変える気持ちはあると。自分から「私
が悪かった」とだけは言いたくない。

プライドが邪魔をする。出来るなら、謝らずにうやむやにうまく済
ませたい。問題に気づきつつ、向き合わずに、礼拝や奉仕が逃げに
なり、それで埋め合わせにしようとする。だが、神に罪を犯してい
るなら、自らの罪を告白し、人への罪ならその相手に謝まる必要が
ある。先延ばしにしている和解や謝罪があるだろうか。

又、人を憎んだまま、神への献げ物は受け入れられない。礼拝への
途上でも、仲直りの方が大切だと。先にそれをしてから礼拝を献げ
よと。謝罪や和解はプライドゆえ逃げたい。神は赦して下さる。だ
が自分は赦しを受けながら、赦そうとしない相手がいないだろうか。

人との正しい関係を回復してこそ、神との正しい関係が築かれる。
そして「誰かに恨まれている」なら、自分から仲直りのために出て
行くようにと。恨まれているのであって、自分が恨んでいるのでは
ない。しかし、自分の方から出て行くようにと御言葉が言っている。

自分は正しいに立ち、こじれが続くなら解決が無い。しかし少しも
非はないだろうか。実行したなら、後は主に委ねたらよい。

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ほとんどの問題が、対人関係と言われるだけあって、人間関係は
難しい。だからこそ、主が助けて下さる。何か御霊の示しがあるな
ら、祈りに持って行こう。御霊がプロセスも導いて、具体的に助け
て下さる。