2016年04月04日(月)

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3:30




ヨハネの弟子たちは、主がバプテスマを授けると、人々が皆、主の
方に行くと報告した。弟子たちは心寂しく、面白くなかった。それ
を聞いて、ヨハネは、心がザラつく事もできた。しかし、彼はそう
ではなかった。なぜなら、その事は神から来ていると受け入れ、
「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」と、神の御心
が成されている事を喜んだ。

なぜ、ヨハネはこのような聖い態度が取れたのか。まず「見よ、世
の罪を取り除く神の小羊」と主が救い主であると告白していた。そ
して自分はキリストではないと明言した。「私はキリストではなく、
その前に遣わされた者・・」と。ヨハネは自分に与えられた立場と
使命を理解していた。主が花婿で、自分は花婿の友人であり、人々
に花婿を紹介し、伝える事が自分に与えられた使命だと。

花婿が重要なのであって、自分ではないし、自分の影響力ではない。
主が現われる事が重要なのだと。ヨハネは自分の使命に忠実に生き、
満ち足りていた。私たちも、自分を越えて、周囲の人が能力を発揮
し、賞賛を浴び、人気者になる時にどうだろう。内にあるものの真
価が試される時だ。順調な時でなく、衰える時こそが試しの時だ。

健康が衰え、病気になる時、物事が自分の思い通りにならず、うま
く行かない時・・そんな時に真の自分が出て来る。その時こそ自我
が砕かれて、内なる主が盛んになる。ますます主が盛んになり、主
の栄光が現されて行く。
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状況が良ければ主を賛美していても、何事か起こればすぐに主を見
失い、慌しく私が、私がと自我が起き上がってくる。心の王座に主
はおられるだろうか。どんな時も主を見つめて歩んでいこう。