2016年07月05日(火)

「ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった」ヨブ1:22




ある男性が目の病にかかり、手術をした。かすかに片方の視力を取
りとめた。しかし仕事はもう無理で辞し、勿論、運転も不可能にな
った。第一線でバリバリと、先頭に立って成果を上げていた非常に
有能な社員だった。幾らでも悲観的になり、落ち込むことができた。
しかし彼はそうしなかった。

ネガティブな思いを拒否し、信仰により、祈りによって、自分に与
えられた状況を受け止めて行った。祈りに祈り、平安が与えられて
いた。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。今
まで与えられていたものも、主からであり、それを取られるのも、
主によるのであり、自分はこれからもずっと、主を礼拝して生きて
行く人生でありたいと。心は安らかであった。

この事態により、更に主との深い関係に入れられる、恵みとして受
け止めた。「なぜ、どうして」と、神を恨み、心を屈折させること
もできたが、そうしなかった。彼の選択であった。周囲に素晴らし
い神の栄光を現わして行った。

ある高齢になった男性も、身体の機能が徐々に衰えて行き、もはや
人の手を借りなければ、礼拝出席も出来なくなった。それを主から
の事と受け止めた。若い自分であれば、助けを受ける事は苦痛以外
の何でも無かったが、サポートを主からのものと感謝して受けた。
「有難う」と受ける事を学ばせられた。そして、心に何にも代えら
れない平安が満ちていた。
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全てに主を認め、やって来る試練を一つ一つ受け入れていくなら、
この先の人生に恐れるものは何も無いとまた教えられる。即座に感
謝は出来なくても、主が必ず共にいると、毎日教えてくださる。