2016年10月05日(水)

「『安心して行きなさい・・十分に食べなさい』と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう」ヤコブ2:16 



「寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶ時に答えら
れない」 ともある。貧しい人が何かを求めて来た時に、面倒で関
わりたくないと思ってしまう。時間を取られるのは辛い、何かを提
供するのはしんどい、金銭的な犠牲を払いたくない。肉は自分を守
り、損得勘定なので、得るものが無い事はしたくない。

「耳を閉じる者は」とあるが、人は自分が聞きたい事だけを聞いて
いて、聞きたくない事は聞かない。だから聞こえない。そして、耳
を閉じて、聞かなかった事にすれば、自分を正当化できて、悩まず
に済むし、責任も感じなくて済む。しかし、困っている人々の必要
を無視してしまうと、自分が呼ぶ時に答えられない、とある。

自分の祈りが聞かれなくなってしまう。「ことばと口先だけで愛す
ることをせず、行ないと真実をもって愛そう」「それによって、神
の御前に心を安らかにされる」「大胆に神の御前に出ることができ」
「求めるものは何でも神からいただける」。行ないと真実をもって
愛する時、自らの祈りが主に受け入れられ聞かれて行くと。

そして、主との間に妨げがないので、御霊の喜びと平安に満たされ
る。又、神は、私たちが、すべてのことに満ち足りて、すべての良
いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかりに
与えて下さる。大きな喜びを刈り取る。それは御霊の喜びだ。
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人のことはそこそこ無関心でいる方がお互い心地よいと、心の耳も
閉ざしがちだ。だから自分が受けることばかりの祈りになっている
ことに気づく。主の御思いと大きく離れていた。