2017年02月02日(木)

「私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください」Uコリント6:13


パウロが「心を広くしてください」と言っているが、コリントの人
々は自分で自分の心を狭くし、窮屈にしてしまっていた。人から制
約を受けているのではない。人から狭くされるのではなく、自分が
そうしている。それは、自分の罪を認めなかったり、御霊の促しや
示しをきちんと受け止めず、無視したり、ないがしろにする場合だ。

又、自分の失敗を主の前に隠したり、認めようとしない時、自分が
心を閉ざしてしまう。段々主の御声も人の言葉も聞かなくなり、自
分で心を曲げて行ってしまう。心が頑なになり、屈折した思いや自
己憐憫に閉じこもる。失敗した時に、素直に認めて、悔い改めるの
ではなく、自己正当化し、言い訳を重ねるなら、更に自分を窮屈に
して行ってしまう。

経験があるだろうか。自分のした事に対しては、責任が伴う。責任
を取るとは、きちんと自分のした事を認め、悔い改める事だ。人に
罪を犯したなら、謝罪する事だ。その時、主から赦しを受け取り、
深い安堵と平安を得る。豊かに赦される。

主からの叱責、人からの忠告や助言を拒む事も、自分を窮屈にする。
叱責や厳しい忠告は痛いが、心を窮屈にする事から守られる。今、
「心を広くして下さい」と示されているだろうか。主の御声に、人
からの愛の助言に耳を傾けて行こう。
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自分を絶対化し柔軟になれない不自由から主は解放してくださった
はずなのに、すぐに自分中心に戻ってしまう。御霊様の示しに気付
いたら主に心を開き光を受けよう。そして広やかに歩んでいこう。