2017年11月04日(土)

「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、 赦してやりなさい。そうすれば・・あなたがたの罪を赦してください ます」マルコ11:25 

          

祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信ぜよ。そうすれば、
その通りになると、素晴らしい約束が与えられている。しかし、次
に続く言葉がある。「恨み事があったら赦してやりなさい」と、赦
す事が強調されている。赦さない心は、祈りを妨げてしまう。祈り
が聞かれない。神があなたを赦して下さったのだから、恨み事のあ
る相手を赦しなさい、と。

私たちはよく失敗する。ミスを犯すし、罪を犯してしまう。しかし
神は豊かに赦して下さっている。罪を犯さないのではなく、罪は犯
すが、赦されて〃生きている。それだから私たちも相手を赦すべき
だと。日常生活でどうだろう。まず恨み、憎しみや赦さない心があ
ると、祈れなくなってしまう。神と私たちの間に、へだたりができ
て、平安が無い。すると確信もった祈りができなくなる。

あなたも経験あるだろうか。ある人が、切迫した必要があり、神の
御前に祈っていた。しかし幾ら祈っても答えがない。心探られる中、
ある人に対し、以前言われた事で、恨みと赦せない思いを根深く持
っている事を示された。これが妨げである事がわかり、心から悔い
改めて、赦した。その後、見事に祈りの答えを見た。

密かな恨み、赦さない心は祈りを妨げる。妨げが取り除かれる時、
すでに受けたと信じる事ができ、その通りの答えを得る。まず赦せ
ない心を告げ、助けを求めよう。

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人を赦す事は、人間の力では不可能だ。赦せない。御霊の働きと御
霊の力によって、人を赦す事ができる。出来ない事を認めて、主の
もとへ祈りに持って行く時に、自分を越えた力を経験する。赦すこ
とができるように助けて下さる。