2018年02月02日(金)

「どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで、私は生きのびるだろう」創世記12:13 


カナンに入り、ネゲブへと旅をしていたアブラムは、激しい飢饉に
遭遇する。その飢饉を避けるため、エジプトに下った。「あなたの
子孫に、この地を与える」と約束されていたにかかわらず、目の前
の不都合で、安易に約束の地を離れてしまった。その時にエジプト
人は美しいサライを見て、自分を殺すだろうと恐れた。

そこでサライに、妹だと嘘を言うようにと。そうすれば自分にも良
くしてもらえ、尚かつ生き延びられると。確かに異母妹ではあるが、
故意に妻であることを隠すのであり、偽ることであった。そんな事
をしてサライはどうなるのか。自己中心、自分勝手な保身であった。
案の定、サライはパロの宮廷に召し入れられた。

パロは、サライのゆえにアブラムを特別待遇とし、沢山の家畜や奴
隷を与えた。しかしこの危機に、主が介入され、パロとその家をひ
どい災害で痛めつけられた。主により、サライは危機一髪のところ
難を逃れ、守られた。アブラムと一族はすべての所有物と共に出さ
れた。信仰の父、信仰の勇者と言われたアブラハムにもこのような
失敗があった。

飢饉に際して、祈らず、主を求めず、自分の思いと自分の判断で動
いた結果、エジプトへ下ってしまった。又、そこで主を仰がなかっ
たので、とんでもない罪を犯してしまった。まず肝心なことは、第
一に祈ること、主を仰ぐ事だ。その時、主が進むべき道に導いて下
さる。又、失敗しても、そこで主に向き、向きを変え歩んで行ける。
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危機を前にして主に聞かなければ、ちょうどいい妥協案や、灰色の
抜け道を選んでしまう。それは祝福から遠い。御言葉に反するなら
まず自分の判断を捨て、向きを変えられるように祈りたい。