2018年03月05日(月) 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて・・大胆に恵みの御座に近づこう」ヘブル4:16
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて・・大胆に恵みの御座に近づこう」ヘブル4:16
新生して以来、私たちは古い性質と新しい性質が、絶えず葛藤して いる。霊と肉の戦いの中にある。やがてかの日に私達のからだは変 えられる。それまで私たちに、弱さがある事を主はご存じだ。この 肉体は疲れ果てるし、病気にもなる。主は肉体をとって地上に来ら れたので、この事を理解し同情して下さる。 主は、あなたのあらゆる弱さをご存じだ。良き理解者だ。同情して 下さっている。だから主のゆえに、いつでも恵みの御坐に行く事が できる。私達は力に溢れている時は、主のためにどんどん働き、主 に近いと感じる。逆に弱さを覚え、無力の時はどうだろう。主を遠 く感じるだろうか。 「何も出来ない者はだめだ」サタンの声が聞こえて来る。罪を犯し てしまうと「同じ失敗ばかりしている」「成長がない、自分はだめ だ」ひどく落ち込んでしまい、ますます主から遠ざかる。御言葉は どう言っているだろう。「あわれみを受け、恵みをいただいて、大 胆に恵みの御座に近づこう」。離れるのでなく、近づけと。 恵みの御坐に近づける根拠は「あわれみを受け」「恵みをいただい て」とあり、「あわれみ」と「恵み」だ。自分の功績、自分の力に は全くよらない。立派な行ないによらない。一方的な愛顧だ。主の あわれみと恵みがあるので、どんなに破れ果てた、ぼろぼろの状態 でも、御前に行ける。綺麗になって行くのでなく、あるがままだ。 主の「あわれみ」と「恵み」をしっかり心に刻もう。 ------------ 恵みが注がれているのに、自分で付加価値をつけたり、主が罪をと りなしてくださるのに罪に気づくと隠くす。不信仰を増長させる肉 に気づく度に、主に近づき、御言葉を素直に信じよう。