2018年07月05日(木)

「ダビデはギブオン人たちに言った。『あなたがたのために、私は何をしなければならないのか。私が何を償ったら、あなたがたは主のゆずりの地を祝福できるのか』」Uサムエル21:3



ダビデの時代に、3年間引き続いた飢饉があった。その時にダビデ
は、飢饉があったという事実だけで終わらず、「この飢饉はなぜで
すか」と主に御心を問うた。ただ豊作になるよう求めたのでなく、
この事の原因は何ですかと尋ねた。この祈りは主の心にかない、す
ぐに答えが示された。

「サウルとその一族に、無実の血を流した罪がある。彼がギブオン
人たちを殺したからだ」と。イスラエルは彼らと盟約を結んでいた
にかかわらず、サウルは熱心の余り、彼らを殺すという罪を犯して
いた。その罪を神はお許しにならなかった。そこでダビデは対処す
るために、ギブオン人たちを呼んで、何をすればよいのか、何を償
えばよいのかと問うた。

そして彼らの言う通りに、ダビデはすべての償いを果たした。する
と「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」とあり、罪が示
され、その償いをきちんとした時に、神は祈りに目を留められた。
罪は祈りの障害となる。罪があるなら、祈りは聞かれない。さえぎ
られてしまう。「あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いて下さらな
いようにした」。

幾ら祈っても答えが無い時には、立ち止まって、原因を求め、主の
御心を伺おう。何かの障害があるのかも知れない。主はその祈りに
答えて、御心を示し、軌道修正し、正しく導いて下さる。そして祈
りは豊かに答えられて行く。
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願い事だけをもって主に向かいがちだが、現実を恐れることなく見
るへりくだった信仰をまず受け取りたい。気づかない罪、隠してお
きたい罪を主に示され、祈りの答えを受け取ろう。