2018年10月04日(木) 「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」ローマ10:17
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」ローマ10:17
主はイスラエルのために、多くの教えを与えられたが、彼らはその 教えを他国人のもののとみなした、とホセア書に出て来る。主から の御言葉を、他人事、よそ事として聞き、決して自分たちへ向けた ものとはしなかった。自分とは無縁なこと、無関係な事であった。 私たちはどうだろう。礼拝でメッセージを聞く時、又、デボーショ ンで御言葉を読む時、他人事としていないか。自分への言葉、自分 の事として聞かないので、どこまでも傍観者であり、心に留まらな い。右から左にすり抜けて行く。御言葉が心に刺さることも、根づ くこともない。 又、自分には当てはめないが、他人に当てはめて、あの人に、この 人にピッタリだと。あの人、この人は変わるべきだと。しかし、御 言葉をそのように聞くべきではない。ただただ自分の事として聞く べきだ。物差しを人に向けず、自分にのみ向ける事が肝心だ。人に 向けると、いつしか裁きとなって行く。 他人の小さなちりに目をつけるが、自分の大きな梁に気づかない。 日頃の御言葉の聞き方はどうだろう。他国人のもののように聞いて いないか振り返ろう。メッセージを、御言葉を、自分自身に、自分 の生活に当てはめよう。御言葉は光として、心の内を照らし出し、 鏡となり自らの本当の姿を映し出す。 心の奥が探り出される。慰めや励まし、指針が来て、罪の指摘や矯 正がある。御声に従って行く時、必ず成長して行く。変えられて、 新しくされて行く。聞く態度が重要だ。 ---------------- 日々、目にし耳にする御言葉を一つでも、自分の事として受け取ろ う。感謝できない心が示されたり、また慰められたり、この世にあ って御言葉が心を熱く燃やしてくれる。