2018年11月04日(日)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主は あなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6


ある母親の経験だ。忙しく慌ただしい朝の準備の時に、子供が宿題
のプリントが無いと騒ぐ。どうしても今日提出しなければならない。
登校時刻が迫って来る。母親も仕事に出る時刻が迫る。幾ら探して
も無い。母親はイライラし、怒りが湧いて来る。いつも前日に準備
するようにと言っている。

「何で、前の日にちゃんと準備しないのよ!」腹が立って仕方がな
い。時間が無い。その間も時間は迫る。子供は焦って、泣きべそを
かいている。その時、「すべての事について感謝しなさい」が、ふ
っと頭に浮かぶ。この事も感謝なんだと思う。

しかし、一方では怒りがおさまらない。心の内で子供を責め立てて
いる。この事は感謝なのだという御霊からの思いと、片方では肉の
いら立ちが交錯する。いよいよタイムリミットとなり、「神様!こ
の事態を感謝します!」と信仰を向け、感謝を選択した。

その途端、子供が「あった!」と叫んだ。思いもかけぬ所に置いて
いた。真に主を感じた瞬間だった。一見、負の、不都合な出来事の
背後に、必ず神の素晴らしいご計画がある。感謝する事は、その事
柄に神を認めることであり、信仰を献げることになる。

神はその信仰に働かれ、信じた通りになって行く。「どこにおいて
も」日々のすべての出来事に主を認めて、認めて行く時、主は信仰
を成長させて行って下さる。

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一日の生活の中に、主を認めて行く時に、生き生きと喜びあるもの
とされる。そして道をまっすぐにして下さる。御心なら状況を変え
て下さるし、又、状況がそのままなら、取り扱いの中で、心を変え
て、心の方を平安にして行って下さる。