2019年04月04日(木)

「しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる」エレミヤ27:11




エレミヤの時代、イスラエル王国はアッシリヤに滅ぼされ、捕虜と
して連行された。しかし、そのアッシリヤはバビロンによって滅ぼ
された。バビロンは侵攻して行き、国々は滅ぼされ、とうとうユダ
王国も、バビロンに捕囚となった。当時のユダは神から離れ、民は
偶像礼拝に陥り、堕落していた。

預言者たちは、人々に耳ざわりの良い、心地良い言葉だけを語り、
平安が無いのに、見せかけの「平安、平安」と言っていた。だが神
の人であるエレミヤは真っ直ぐに神の言葉を語った。そのため迫害
され苦しめられた。バビロン捕囚中の暗闇の中で、エレミヤは神の
言葉を語った。

その捕囚は、「災い」としか見えないが、災いではなく「平安・将
来・希望」のためのものだと。すぐに解放にならないので、その地
で落ち着いて、腰を据えて生活せよと。そして敵であるその町の繁
栄を祈れと。それは自分達の繁栄になるからと。私たちも苦悩の時、
一番欲しい言葉は今すぐ問題解決、苦難からの解放だ。

しかし口先だけの慰めは、更に傷を深くする。思い通りでない、か
せのような現状を受け入れるなら、その中で神からの支え、励まし
により歩めると言っている。現実を受け入れる事が大切だ。いつま
でもそのままではなく、「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせ
る」。現状の中で神に従うなら、そこに「平安」が約束されている。
そして神の時に、そこから出して下さる。
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かせのような現状でも御心の中にいるならそこに平安を見出せる。
そこに祝福があると確信できるからだ。耳障りの良い助言を求める
より御言葉に聞き御言葉に立とう。