2019年10月05日(土) 「私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行 こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」創世記13:9
「私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行 こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」創世記13:9
アブラムは主の御声を聞き、主の示しを受け、それに従い旅立った。 しかしロトは御声を聞いたわけでなく、祈ったからでもなく、ただ 伯父のアブラムについて行っただけであった。伯父と一緒にいれば、 利得があると思ったのかも知れない。そして、ずっとアブラムの後 をついて、アブラムの判断に任せたまま歩んで来た。 そしてアブラムへの主の豊かな祝福ゆえに、ロトも所有物がどんど ん増し、牧者間の間にもめ事も起き、双方共に進む事が困難になっ た。それで、アブラムは別行動を取る事にし、自分の全所有権を手 放し、まずロトに好きな地を選ばせた。「もしあなたが左に行けば、 私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」と。 ロトはそこで主を見上げる事も、祈る事も無く、又、伯父の恩義に 報いる事も、年長の伯父を立て、伯父さんが先にという事もなく、 思いは自分の利得のみだった。どこが一番有利で、得かと見渡した。 そして最も潤う肥沃な地を選んだ。見た目には素晴らしい地であっ たが、しかしそこは邪悪なソドムであり、滅ぼされる地であった。 一方アブラムは、残った所を主からのものと受け取った。アブラム の信仰だった。アブラムは選ばなかったが、主がアブラムのために 選んで下さった地だった。ロトは肉の目でソドムを選んだ。自らの 選択であった。 肉で選択する事と、主に委ねて歩む事の違いを見せられる。進路が 自分の思い通りでなく、自分の選択の結果でなくとも、主が選んで 下さった道だ。そしてその道こそベストだ。主に委ねて歩もう。自 分の思いとは違っても、主が選んで下さった道には、思いを遙かに 越えた祝福が備えられている。御声を聞いて歩む幸いを見せられる。 ・・・・・・・・・・・・ アブラムは、主に委ねたから全き平安でおれた。どこになろうと、 背後の、主の主権を認め、自分にとっての最善が成ると信じていた。 だから平安だった。「行く所どこにおいても、主を認めよ」、その 信仰に立つ時、人生はどんなに平安に保たれ、守られるだろう。