2019年11月04日(月) 「あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそ がれた者を救うために出て来られます」ハバクク3:13
「あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそ がれた者を救うために出て来られます」ハバクク3:13
ハバククはヨシヤ王の死後の預言者で、当時、国内は、罪が満ち、 裁きが行われず、悪がはびこり混乱していた。主はカルデヤ人を襲 撃させ、悪を罰すると言われたが、現状は悲惨だった。「いちじく は花を咲かせず、ぶどうの木は実を実らせず、オリーブの木も実り がなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいな くなる・・」 こんな不毛、失望落胆、嘆き、なすすべの無い状況、お手上げで絶 望状態だ。作物も家畜も壊滅状態だ。これを見るなら、望みも何も かも打ち砕かれ、暗澹たる気持ちになって当然だ。先の事を考える と絶望しかなくなって不思議はない。しかしハバククは違った。こ の酷い状況のまっただ中で主を賛美し感謝したのだ。 「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩 ませる」と。主の裁きの先にある、赦しと回復を見ていたからだ。 主は、罪を徹底的に裁かれるお方であると同時に「あなたは、ご自 分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うた めに出て来られます」の通り、救いの約束を成就される主である事 を信じていた。 私たちも厳しい試練の中で、目の前の状況を見るのでなく、主の約 束を、御言葉を見続けることだ。それは選択だ。状況を見て、落ち 込み絶望するか、主の約束を信じ、主を賛美し感謝するかで、これ は選択だ。主を選べるよう、助けを求めて祈ろう。 ・・・・・・・・・・・ 主も、サタンも、私たちに意志に触れる事は出来ない。意志は自分 のものだ。であれば、ロボットではないので、自分が意志した結果 に責任が伴う。ネガティブ状況で落ち込みを選ぶのは自分で、主を 見て、御言葉の約束を選ぶのも自分だ。主を選べるよう助けを求め て祈ろう。