2020年05月05日(火)

「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです」Tペテロ2:19



ある人が職場で、辛い状況にあった。先輩が、どうも自分が気に入
らないようで、挨拶をしても、返してもらえなかった。無視されて
いるようで、しんどい状態だった。自分の何が悪かったのかと考え
るのだが、思い当たらない。相手がしていた仕事を、上司が自分回
し任せたのが、気に入らなかったのだろうか。

だが自分はクリスチャン、こちらは無視されても挨拶をし続けた。
隣の自分の同僚には親しく話しかけ、自分はスルーされ、怒りが湧
きそうになるが、祈りに祈り、御言葉に励まされながら、何とか守
られ接することができた。辛い中、この事を続けて祈っていた。あ
る時、相手の仕事の締め切りが迫り、どうにもならない中、一緒に
遅くまで残業して手伝った。

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい」との御言葉が示
されていたからだ。どうにもならなかったその仕事はうまく行き、
大変感謝された。相手は良心のかしゃくを感じているようだった。
入社時から自分に仕事を教えてくれたのが、その相手であり、自分
もその事を感謝した。その時、何かが変わり、その後、良い関係と
なった。

祈りの答えだった。主が祈りに答えて下さった。問題が起きた時、
自分で動き回らず、とにかくまず祈ろう。祈りを積み、そして次に
耳を澄ましていよう。御霊はなすべき事を示される。その時示しに
従おう。従わないならそのままだが、従う時にみわざを見て行く。
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感情では不当な苦しみをこらえる事などできない。主に助けられな
ければ、結果を思い煩うばかりだ。全てを知っておられる主に結果
を委ねられるよう、主の喜ばれる方へ向かえるよう助けを祈ろう。