2020年07月05日(日) 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ち た種があった。すると、鳥が来て食べてしまった」マタイ13:3
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ち た種があった。すると、鳥が来て食べてしまった」マタイ13:3
ある人が、御霊の気づきを与えられた。それは、主を信じ救われて、 かなりの期間を経るのだが、御言葉を聞いているつもりで、実はス ルーしていた、流していた事に気づかされたと。それは御言葉を捨 ててしまっていた事になると。種蒔きのたとえの「道ばた」に落ち た種であり、土地が固いので植わらず、弾き返してしまう。つまり 心が固いので、御言葉が心に全く入らず、弾いている。 しかし御言葉を拒否するのでなく、自分としては、喜んで聞いてい るつもりなので、全く気づかなかったと。御言葉を聞く時に、必ず 別の思い、肉の思いが同時に湧いて来て、御言葉をかき消してしま う。例えば主が「必要を満たす」と言われると、「どこからどうや って?」「そんな事、有り得ない」と打ち消してしまう。 しばしば主の価値観は、世の価値観と正反対だ。それで「そんな事 をしていたら、世の中で生活して行けない」と思う。つまりはずっ と御言葉を聞く時に、横から湧いて来る、肉の思いの方を選択して いたと気づかされた。御言葉を聞いてはいるが、心に入れずに捨て てしまっていた。成長して行けないのはそこが原因だとわかった。 そこで、御言葉を聞いた時に、同時に湧いてくる自分の思いの方を 捨てて、とにかく御言葉に従おうと決心した。それを実行して行っ た時に、初めて、本当に自分が変えられて行った。驚きであった。 御言葉を拒否しているなら、むしろわかりやすいが、普通に聞いて いるので、長い間気づかなかった。ずっと自分は変わらないと思っ ていた。御言葉が植わる、土地であるところの、心のあり方は非常 に重要だ。御霊の光で探って頂いて、修正して頂こう。 ・・・・・・・・・・ 御言葉を聞く事は好きで、幾らでも聞くのだが、実は肉の思いに妨 げられて、心に入っていない事がある。無意識なので気づかない。 種が心に入らない限り、結実は無いので、御霊によく心を探って頂 こう。今一度、聞いているつもりのところに光を当てて頂こう。