2020年08月05日(水)

「これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた」 創世記22:1




主は約束を下さっていたが、アブラハム100歳、サラ90歳の時に、
長い長い忍耐の末に、実子イサクを得た。しかし彼らも弱い人間で
あり、主の時を待てずに、肉の手段で、奴隷ハガルによりイシマエ
ルを産み出してしまった。だがヘブル書によると、アブラハムは信
仰の人として賞賛されている。主は彼に試練を与えられた。

愛する子イサクを全焼のいけにえとして献げるようにと。25年も待
ちに待って与えられた、目に入れても痛くない、愛してやまない息
子だ。そしてこのイサクから子孫が増え広がるはずで、この主の大
いなる祝福の約束はどうなるのか。アブラハムの心中は、いかばか
りだったろう。

しかし「翌朝早く」イサクと共に出かけた。すぐに、時をおかずに
従順に従った。イサクが途上で「いけにえの羊はどこに」と問うた
時に、彼は「神ご自身が備えて下さる」と答えた。彼はこの事にお
いて、主を全く信頼した。しかし、いけには無く、イサクをいけに
えとし、刀を振り下ろすその瞬間だった。

「あなたの手を、その子に下してはならない」と止められた。あな
たが神を恐れることがよくわかったと。そこに羊が備えられてい
た。
これは彼も知らなかった事だ。その彼に、主は「あなたが、このこ
とをなし、あなたの子、ひとり子を惜しまなかったから、確かにあ
なたを大いに祝福し」と、主から大いなる祝福を受けた。

私たちも一歩先は見えず、明日の事もわからない。しかし主はご存
じだ。一歩一歩この主に委ねて歩む時、一生涯の間、「主の山の上
に備えあり」を確かに経験して行ける。
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不安や恐れはあっても、与えられている御約束を信じて進む者に主
は必ず報いて祝福してくださる。信じて進もう。全ては恵みだった
と言える主の山の備えを経験する。