2020年09月04日(金)

「サウルの家の一族のひとりが、そこから出て来た。その名はシムイといってゲラの子で、盛んにのろいのことばを吐きながら出て来た」Uサムエル16:5



シムイが呪いの言葉を吐き、ダビデと家来たちに石を投げつけた。
シムイは、ダビデがサウル家の血を流したと呪った。「出て行け、
出て行け。血まみれの男、よこしまな者」と。主がサウルの血を報
いたのだと。しかしダビデはサウル家の者の血は流してはいない。
不当な非難で中傷だった。部下がシムイを殺そうとしたが、ダビデ
は止めた。

「ほうっておきなさい。彼に呪わせよ。主が彼に命じておられるの
だから」とダビデはそこに主を認めた。サウル家の者は殺していな
いが、血の非難はウリヤ殺害の罪についての、主からのものと受け
とめた。「私をそしる者が敵ではありません。 それなら私は忍べ
たでしょう」とシムイのそしりを意に介していない。

ダビデは自分で何とかしようとせず、自分に降りかかり、自分に起
きるすべての事を、主の御手からのものと従順に受け入れ、主にお
ゆだねした。そして一つ一つ刈り取って行った。ダビデの信仰だっ
た。そして、「主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろ
いに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」と。

私たちはどうしても目の前の状況に即、反応してしまい、状況を変
えよう〃としてしまう、しかし状況でなく、主を見上げよう。悪意
をも、良いことのための計らいとして下さるお方だ。主に間違いは
無い。
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主が全てを知っていてくださるとの信仰に立てるのは幸いだ。人の
言葉に心を騒がせられない。今日ののろいに代えて、主はしあわせ
を報いてくださると希望を待ち望める。真の慰めだ。