2020年11月04日(水)

「わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります」詩篇40:8



みこころを行なう事が喜びだと言っているが、肉は、自分の願い、
欲望が叶うことが喜びで、幸せだと思う。欲望が満たされる事は、
非常に心地良いからだ。又、自分の利益になる事も快い。与えるよ
り受ける方が幸いになる。目の前の事態に、とっさに自分の損得を
基準に判断し、行動してしまう。メリットが無い事に関わりたくな
いし、時間も労力も財も使いたくない。

そして又、仮に全財産を貧しい人に施したとしても、愛が無ければ
何の役にも立たないと言っている。全財産を与えるのは、大変な犠
牲的行為だ。しかし動機が問題で、それが自分の栄誉のため、自分
のプライドや賞賛のためなら、何の益も無いと。人は、自分の栄光
のために、かなりの事が出来てしまう。しかしそれならいっさいが
無益だと。信仰は、根底が自分中心から、神中心への転換だ。

日々の生活に心が満たされず、心の奥に虚しさがあり、欲しい物を
手に入れても満足が無いのは、自分中心に生きているからだ。それ
を神中心に転回して行く時に、真の心の満たしを経験する。神は、
私に何を願っておられるのか、私への御心は何か、神はどう思って
おられるのか、まず「神は」を主語にする時に、すべてが秩序を持
って回り、自分自身にも真の平安と喜びが臨む。

私たちは、自分で思い描いた幸せを望むばかりで、主が私に与えよ
うとしている溢れる祝福を受け取り損ねていないだろうか。自分の
思う幸せに固執していないだろうか。主のみ思いは、全く別にある
かも知れない。主のみ思いを尋ね求めよう。
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心はいつも感情と打算に流れてしまう。御心を祈っているつもりで
も自分の有益ばかり願っている。何を一番にしているか、立ち止ま
り今一度、点検したい。