2020年12月01日(火)

「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです」マタイ6:5



祈る時、又、施しをする時に、偽善者のようであってはいけないと
言われた。偽善者とは「役者」の意味だ。俳優であり、つまり演技
をする者の事だ。俳優とは何をするのだろう。俳優は、脚本家が書
いた脚本の通りに、その人物を演じる。脚本の通りに、監督が演技
指導し、俳優はそこに描かれた人物を、監督の指示に従い、忠実に
演技する。

それをいかに巧く演じるかで評価される。その人物にどれだけなり
きるかが勝負だ。それは全く別人だ。偽善者とは、自分ではない人
物を演じる者だ。それは「彼らは、人に見られたくて」とあり、人
の賞賛、評価を得るためだ。エデンで、アダムが罪を犯し、神から
離れたので、人は、目に見える人の愛情を求めるようになった。

人に認められたいがために、見えない神ではなく、目に見える人を
求めてしまう。誰もがその弱さを持っている。人に良く見られたく
て、良い人を演じてしまう。それは自分ではない別人だ。嫌われた
くないので、人に気に入られる事を言ってしまう。これが俳優であ
り偽善だと。それが祈りになると、建前のきれい事の祈りになる。

演技の祈りであって、天に届いていない。主は、あるがままの本当
の気持ち、正直な気持ちを受け止めて下さる。それを待っておられ
る。別人でなく、私たち自身を愛して下さっている。あるがままの
気持ちを祈りに持って行こう。
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上手く祈ろうと人目を気にする事もあるが、誰に祈っているのか、
祈りが御霊に助けられながら、神との真実な交わりにしたい。祈り
ながら、祈るべきことも折々に与えられるから感謝だ。