2021年03月05日(金)

「義を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます」ヤコブ3:18


平和は、あるか、無いかのものではなく、「つくる」ものだと言っ
ている。平和はつくる事が出来て、つくる人は幸いだと。平和の使
者になるには、まず自分が平和を持っている必要がある。主によっ
て平安にされていることが大切だ。自分の内側が、赦せない思いや、
憎しみ、処罰感情、敵対心、復讐心で満ちていたらどうだろう。

人間は、自分の辛い状況を誰かのせいにし、その人を攻撃し、心を
落ち着かせようとしてしまう。怒りや不安をおさめるために、どこ
かに攻撃先をつくりたい。しかし、ますます自らを傷つけるばかり
だ。平和をつくるには、人との平和の前に、主との平和を持つ事が
重要だ。「もし、わたしのとりでにたよりたければ、わたしと和を
結ぶがよい」。

主と自分の関係はどうだろう。妨げなくスムーズだろうか。妨げが
無いだろうか。悔い改めていない罪、御心に従う事を拒んでいたり、
又、ぐずぐずと従う事をなおざりにしている不従順はどうだろう。
自分自身がまず、主との関係を正しくされる事が大事だ。罪や不従
順は悔い改める事ができる。そして主は悔い改めた罪をいつでも豊
かに赦して下さる。

何という恵みだろう。赦されて、赦されて生きて行ける。罪が赦さ
れて、主との関係が正しくされると、通り良き管として主が平和を
つくるために用いて下さる。周囲を平和にして行ける。自分の力で
平和をつくるのではなく、主があなたを用いて、周囲に御霊の平和
をつくって下さる。
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妬みや敵対心があるとつい自己主張したくなるが、逆に誇ってはい
けないと言われる。へりくだり主との交わりを通して知恵をいただ
こう。争いの多い世にあって平和の種を蒔く者になろう。