2021年10月03日(日)

「ペテロは言った『たとい、ごいっしょに死ななければならないと しても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません』弟子 たちはみなそう言った」マタイ26:35



ペテロは、主が捕らえられた時に、主を裏切ってしまった。以前に
主から、鶏が二度鳴く前に、三度主を知らないと言うと言われてい
た。鶏の鳴き声を聞いた時、その言葉に思い至り、主を否んだ罪を
自覚した。心底悔いて、男泣きに大泣きした。私たちは失敗してし
まう。人間の弱さのゆえに、どうしても失敗する。失敗しない人は、
一人もいない。

しかしそこで、罪を認め、悔い改めるなら、大きく成長して行く。
それで人生が終わったのではない。主のあわれみは尽きず、主は豊
かに赦し、尚も、その事をも益として下さる。失敗を通して、私た
ちはへりくだらせられる。へりくだらざるを得ない。高ぶっている
事ができない。自らの愚かさが恥ずかしく、ただただへりくだるの
みだ。

ペテロは自分の弱さを知らなかった。主に、命をかけて従って行け
ると自信満々だった。そう思っていた。そのところを、主は取り扱
われた。ペテロの自分の思いであり、自分の力だった。ペテロはそ
こを砕かれた。自信は砕け散った。そして砕かれたペテロが、その
先で素晴らしく用いられた。

ペテロは聖霊に満たされて、今度は自分の力でなく、聖霊の力によ
って、主の大きな働きを成し遂げて行った。ペテロは全く変えられ
た。私たちも失敗する。しかしそこで悔い改めるなら、その失敗は
私たちを謙遜にする。失敗が問題なのでなく、その後、どのように
生きて行くかが問題だ。主は罪赦し、再び立ち直らせて、立ち上が
らせて下さる。赦されて赦されて、失敗から学んで行く。

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どうしても失敗してしまうが、悔い改めにより、主は赦して下さり、
赦し続けて下さる。その赦しを受け取る事により、主の愛に触れ、
更に主の愛を知って行く。そして自分の力でなく、主に拠り頼む事
を身を持って学ばされて行く。何というあわれみだろう。