2021年12月05日(日)

「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけ ないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょう か」ルカ18:7



主が、この箇所で「いつでも祈るべきであり、失望してはならな
い」事を教えようとされている。ここに出て来るやもめは、何か理
不尽な目に会っていたようで、「私の相手をさばいて、私を守って
ください」と、ひっきりなしに不正な裁判官に訴え続けた。どうし
てもの必要に迫られ、必死で求めた。

神を恐れず、人を人とも思わない裁判官だが、やもめがうるさくて
〃仕方が無いので、裁判をする事にした。主は、このように私たち
にも、粘り強く求めるようにと言っておられる。この裁判官は、彼
女に対する親切や配慮で動いたのではない。しかし動いた。

ましてや私たちを愛し、慈しんでおられる主は、私たちのために正
しいさばきをされないはずがないのだからと。失望とは、希望を失
ってしまう事だ。希望を持つ事と、祈り続ける事は表裏一体だ。希
望を持つから祈り続けるのであり、祈り続けるから希望が持てる。
失望すると祈らなくなる。失望しないで祈り続けよと言っておられ
る。
バルテマイは、主が通られる時に、「私をあわれんでください」と
叫び始め、周囲が黙らせようとすると、彼は黙るどころか、ますま
す「私をあわれんでください」と叫び立てた。すると、主は立ち止
まり、「あの人を呼んで来なさい」と言い、「わたしに何をしてほ
しいのか」と問われた。主を叫び求める人に、主は足を止め、何を
して欲しいのかと問うて下さる。祈り続けよう。

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主は失望せずに、祈り続けよと言われている。裁判官はやもめがう
るさいから裁判をしたが、主は、うるさくて面倒だからでなく、極
みまで愛して下さっているから、喜んで答えて下さる。求める事を
喜んで下さる。思い煩いや心配事も、一つ一つ主に持って行こう。