2022年02月02日(水)

「主はサムエルに仰せられた。『彼らの言うことを聞き、彼らにひ とりの王を立てよ』」Tサムエル8:22



他国の様子を見たイスラエルの民が、自分たちにも、他国のように
王が欲しいと、王を求めた。それは、主の御心に反する事であっ
た。
ところが主は、サムエルに、民の声を聞き入れよと言われた。それ
はサムエルを退けたのではなく、主を退けたのだと。

民は自分たちの思いで、王を求めて、主に逆らい、主を退けたの
だ。
主はサムエルに彼らに厳しく警告し、王の権利を告げよと言われ
た。
しかしそれを聞いても、民はどうしても王が欲しいと言い張った。
すると主は、王を立てよと言われた。

しばしば、自分が肉で計画した事がうまく行き、画策通りになる時
に、これは主が成功させて下さったと勘違いする。認めて下さった
のだと思い込もうとするが、しかしそうではない。それは大きな誤
解だ。どうしても行くという私たちに、自分勝手な道を行く事を許
されただけだ。

どれだけ止めても、忠告しても聞かない時、私たちに思う道を行か
せられる。そして、自分がした事の結果を刈り取らせられる。苦い
辛い、苦しい刈り取りになる。その刈り取りを苦しい訓練とし、学
ばせられる。それにより、自我を通すことが、いかに愚かであるか
を身をもって知る。

蒔いたものは必ず刈り取る事になる。例外はない。肉のために蒔く
と、必ず苦しい刈り取りがある。主は侮られる方ではない。今、自
分の思いの道に行こうとしているなら、方向転換して御霊に従お
う。
肉でなく、御霊に蒔くなら、大きな祝福を刈り取る。
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道が開いたように思えても、もし御言葉と反対方向なら徐々に平安
は失せて、そこに主の御心はないといつか気づかされる。強い思い
は主に明け渡せるよう祈っていこう。