2022年09月03日(土)

「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わた しの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってくだ さい」マルコ14:36


いつも「主の御心なら」という意識は非常に大切だ。自分の人生の
あらゆる場合に、へりくだって主を認めて行く事は幸いだ。何かを
しようとする時に、自分の意志と、主の意志はどうだろう。合致し
ているのか、相反しているのか。又、その動機の部分はどうだろう。

ある人が、ボランティアをしようと思った。しかしその時「主の御
心なら、このことを、または、あのことをしよう」との言葉が来て、
主のお心はどうなのだろうと、立ち止まり心探られた。単に善をし
たいとの「自分の思い」か。自分の見栄なのか。自分の自己満足な
のか。又、人の賞賛のためだろうか。更に、ボランティアでなく、
もっと他に本当にやるべき事はないのか。

何かをしようとする時に、まず祈る事は大切だ。主のお心はどうか
と求めてみよう。人には自己実現という欲もあるので、良い事だと
しても、主の栄光でなく、自己満足のためにしてしまう。いつも
「主の御心なら」それをしようとの姿勢は大切だ。“人の心には多
くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る”箴言19:21と
ある。

自分の思いで、肉でしたとしても、実を結ぶ事がない。計画をまず
は祈りに持って行こう。そして「主のみこころなら、私たちは生き
ていて」とあり、「明日○○しよう」と言っても、明日の事はわか
らず、明日生きているかは、私たちにはわからない。主の御前にへ
りくだって、何より主を仰いで、主を求めて生きることが大切だ。
その時、豊かに実を結んで行く。

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自分の思いや、突然の思いつきで、物事をしてしまう場合がある。
状況的にストップとなり、又、様々な要因で行き詰まってしまう。
その時、祈っていなかった事、自分の思いで行動した事に気づかさ
れる。実を結ぶ事がなく、まず主の御心を求めて行きたい。