2022年11月04日(金)

「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。 『主です。』すると、シモン・ペテロは・・上着をまとって、湖に 飛び込んだ」ヨハネ21:7



ペテロと弟子たちは、最も肝心な時に、主を否み、裏切り、逃げ
た。その後、ガリラヤに戻った彼らの心はどんなものだったろう。
死んでも従うとのペテロの満々の自信はこっぱみじんに砕かれた。
心重く、なすすべなく、一度捨てた網をもう一度取り、自分たちに
唯一自信のある漁をする。しかし一匹も捕れない。

心は虚しく、深い後悔、落胆、挫折感だったろうか。夜明け頃、岸
辺の見知らぬ人が「子どもたちよ。食べる物がありませんね」と叫
んだ。声の主はわからないまま、「はい、ありません」とありのま
まを答えた。すると直ちに「舟の右側に網をおろせ。そうすればと
れる」との声。その見知らぬ声に従い網を下ろした。すると、何と
驚くばかりの大漁だった。

以前の全く同じ光景を思い出したヨハネは、瞬間「主です!」と、
わかった。ペテロは主に会いたい一心で湖に飛び込んだ。上がると
そこに主がおられ、彼らのために魚とパンの朝食が用意されてい
た。「なぜ、裏切ったのか」と一言も言われず、叱りも責めもされ
ない。三回の裏切りは、「わたしを愛しますか」の三回の問いかけ
により、深い傷をがおおわれ、いやされて行った。

そして「羊を飼いなさい」と牧会の働きを委ねられた。神の御心に
添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせる。
悔い改めにより、罪は赦され、信仰を回復させて下さる。弟子たち
への慈しみとご愛は、私たちへも同じように向けられ、注がれてい
る。
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失敗の連続だ。悔いているとき主は特に近くに感じる。かえりみて
くださり十字架が最も近く迫る。なんという大きな慰めだろう。感
謝が溢れる。主にしか癒されることはない。