2023年02月01日(水)

「・・イエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、 彼は出て行って、激しく泣いた」マタイ26:75



主を裏切った二人の人物が出て来る。ペテロとイスカリオテのユダ
だ。どちらも主を裏切った。しかもペテロは三度も否み、呪いをか
けて誓ってまでも。二人共、主を裏切ったが、最後は天と地ほど違
った。ペテロは、主の赦しを受け取り、回復させられ、主の昇天
後、諸教会のリーダーとされ大活躍した。

一方ユダは、主を銀貨30枚で売り、「罪のない人の血を売った」と
後悔し、祭司長、長老たちのもとへ行き、その銀貨を返した。しか
し「私たちの知ったことか。自分で始末しろ」と言われ、首をつっ
てしまった。ペテロとユダは、こんなにも大きく違ってしまった。

ペテロは裏切った時に、主を仰ぎ、主の言葉に向いた。その時、主
の言葉に思い当たり、号泣した。主の遺体が無いとのマリヤの知ら
せに、急いで走って墓まで行った。ガリヤラへ行けとの、主の指示
に従い、指示通りにガリラヤへ行った。取り返しのつかない大変な
事をしてしまったが、しかし、主のもとを離れなかった。

ユダは後悔した時に、主のもとへ行かず、律法学者のもとへ行っ
た。主を求めず、主に頼らず、自分で決着をつけてしまった。「自
分で始末せよ」これは悪魔の攻撃であり誘惑だ。主のもとに行く事
を阻止し、主に頼らせない。私たちにも来るだろうか。

自分で何とかしなければ・・、どうしよう・・。失敗した時に、自
分で、自力で・・、頭はグルグル回り、その時、担いきれず押しつ
ぶされてしまう。絶望感に襲われる。そうでなく「わたしのところ
に来なさい」と、どんな時にも常に招かれている主のもとへ行こ
う。即、行こう。罪が赦され、平安へと導かれる。どんな時にも希
望がある。
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何度失敗しても主のご愛は少しも変わらない。主のもとにしか行く
ところはない。サタンが絶望的な声を持ってきても、自分に何の力
もない事を知っているからこそ、主にすべてを委ねる希望がある。