2023年04月03日(月) 「別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに 芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れて しまった」マタイ13:5
「別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに 芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れて しまった」マタイ13:5
岩地に蒔かれるとは、岩の上に薄い土があり、表向きには御言葉を 喜んで受け入れるのだが、心の底に頑ななものがある。感情的に、 涙を流して御言葉を受け入れるのだが、しばらくして困難や迫害が 来ると、御言葉を捨ててしまうと。根が下へと根差そうとすると、 薄い土の下には岩があり、その岩にぶつかり、地中深くへと根差し て行けない。 岩は自我であり、痛い事は負いたくないし、犠牲を払う事は避けた いし、自分にメリットの無い事にも関わりたくない。自我が勝って しまうのだ。そのため御言葉ゆえの困難が来ると信仰を捨ててしま う。私たちもどうだろう。信仰に進もうとする時に、自分の中の固 い岩にぶつかるだろうか。自我がいかに強いかを思い知らされる。 思い通りに生きたいし、思いに反する事は拒んでしまい、自我が勝 ってしまう。 ある人が、怒りが沸くのがいつも同じパタンで、自分の内側の事に 気づかされた。そこから落ち込み、思い煩いに支配される。いつも 同じ所だ。サタンがその弱さを突き、毎回攻撃をしかけて来るのだ が、祈っていると気づきを与えられた。その底に、変わりたくない 自分、自己正当化する自分、自分の強い思いがある事を。固い岩が あった。 岩をも砕かれる主に、生き方を変えようとしない自分を認め、取り 扱って頂こう。主は砕き、耕し、私たちを変えて行って下さる。実 は砕きが成長のために、大きな祝福だ。愛、喜び、平安・・実を結ば せたいと願っておられる。主を新たに経験して行く事ができる。 ------------- 痛いところを避けていても、尖っている自我はいつも何かにぶつか ってしまう。主と主の御言葉に向かい合う時を通されることは感謝 だ。主にお任せし、砕かれて主にある自由を受けていきたい。