2003年02月02日(日)

「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと・・心配してはいけません。あすの心配は無用です」(マタイ6:25)

これは、しばしば勘違いするが、先の事を考え
てはいけない事ではない。将来の何の備えも
するなという事ではない。保険に入るのは不信仰
という事ではない。雨の日のために備える事は
聖書的であり、賢い事だ。むしろ、何の計画も
設計も無いという事は、無責任だ。塔を建てる
ための計算や、戦いの際の思慮深さについても
語られている。主が問題にしておられるのは、
将来に対しての賢い考察ではなくて、愚かな
思い煩いに対してである。私達がどうにも
出来ない事柄がある。それは心配しても何の
益もない。無用な消耗だ。又、問題から何とか
逃げようとする時、恐れ怯える。問題を真正面
から受け止めるのだ。直面しようとする時、
心配は終る。そして、耐えられない試練は一つ
も無いのだ。これは大きな励ましだ。乗り越え
られる。しっかり受け止める事だ。