2023年05月05日(金)

「偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、は っきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」 マタイ7:5 



この世で罪を犯すと、裁判所で裁判が行なわれる。その際、裁判
は、法律に照らし合わせ、処罰が決定される。だが、御言葉の「さ
ばいてはいけない」の「さばく」とは、自分のものさしで、自分の
価値観で決めつける事だ。だから、他人をさばく時には、自分は正
しいとの、立場に立っている事になる。

逆に言えば、だからこそさばく事ができる。その時、自分の事はい
っさい棚上げとなる。実は、さばく自分の内に同じものがあると言
っている。だからこそ相手の内に見える。肉は、人をさばくと、自
分が優位に立った気になる。罪の性質だ。しかし真のさばきは、神
にしか不可能だ。人間は、皆、間違う。他人の外側しか見えず、心
の内はいっさい見えない。

動機も見えないし、わからない。つまりうわべでしか判断できない
事になる。逆に、もし自分が、人からさばかれたらどうだろう。う
わべで判断され、相手の物差しで、決めつけられたらどうだろう。
どんなに傷つき、怒りがわき、又、落ち込む事だろう。人は、自分
の主観で見てしまう。それが梁になる。御言葉は、私たちに梁があ
ると言っている。

ある人が、窮地にいる人に対して、冷めた思いしかなかった。自業
自得だと。しかし主に正直にその思いを告げ、祈っていた時に、御
霊は相手の立場に立たせられた。もし自分なら・・、どんなに辛
く、自分なら絶対に耐えられないと、その時、切に祈らされた。そ
の直後、相手の問題解決の連絡を受け取った。自分も大きく恵まれ
教えられた。まず、主に祈ろう。
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誰かの目の中のちりが気になる時、自分の目の中の梁をまず、主に
取り除けてもらおう。真に見える目で見るならどう見えるのだろ
う。主に思いを預け、主の導きに従おう。