2023年06月04日(日)

「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれ る人がいません・・ほかの人が先に降りて行くのです。」ヨハネ5:7



ベテスダの池に、38年も病にある男性がいた。38年とは何という長
い歳月だろう。最初は、あちこちの医者に行き、何でも試し、あり
とあらゆる方法を試みた事だろう。何をしてでも治りたい。しかし
何をやっても、どうにもならない、何の手立ても無い現実にぶち
当たる。今度こそはと期待しては、裏切られ、それの繰り返しだっ
た事だろう。

段々、心が折れて来る。その最後にベテスダに池にたどり着いた。
だが、そこでも同じ事だった。水が動いた時、最初に入った者は、
どんな病でもいやされる。ひたすら動く時を待ち、今度こそ〃と思
うが、他の人が先を越してしまう。期待しては、打ち砕かれ、挫折
の繰り返しだ。

どんどん心が疲へいし、期待すると傷つくので、もう期待する事自
体をやめてしまう。これ以上傷つきたくない。主は、この38年の言
葉に尽くせない苦しみ、悲しみ、嘆き、何もかもをご存じで、この
男性に関わられた。「よくなりたいか」と。すると彼は、自分は介
助者がいないから、ダメなのだと。介助者のいる人が先に行くと。

私たちもどうだろう。あれが無いこれが無い、だからだめ。又、自
分がこうなのは、状況のせい、周囲のせい・・自己憐憫、自己正当化
にいる限り、何も変わらない。周囲や状況でなく、自分はどうなの
か。「あなたは、よくなりたいのか」と問われている。「はい、よ
くなりたいです」と答えよう。主は臨んで、みわざをして下さる。

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主は「では、介助して池の中に入れてあげよう」と言われたので
なく、直接、「起きて・・歩け」と言われた。アルファでありオメガ
であり、全主権を持つ万物の支配者だ。そのお方が、私たちにも向
き合って下さっているとは、何と驚くべき恵みだろう。